近所の天理大教会の掲示板に、この1ヶ月次のような言葉が掲げられていた。
「心の器」
純金で できた器でも それに痰を吐いたら
痰壺に なってしまいます
粗末な器でも お茶が入っていたら
お客さんに 出せるのです
入れ物の 良し悪しが
そのもの全体の 良し悪しを 決めるのではなく
あくまでも 中身が 大事であります
私たちの 心の器には 何が入っているでしょうか
うらみ 欲 腹立ち 高慢な思い
こんなものが 入っていたら 人には 見せられません
人に見せても 恥ずかしくない
優しく 思いやり一杯で 人の苦しみのわかる
そんな思いの 詰まっている
心の器を 持ちたいものです
原文のまま〜教会に掲載の許可を得ています~
この1ヶ月、そばを通りかかる度に良い言葉だなと感じていた文です。
そのままの意味でもとても感動的ですが、この「器」を我々の「家」と置きかえてはどうでしょう。
いくら凄い豪邸であっても、その家に住んでいる人がギスギスして思いやりの無い心の持ち主であれば、建物が泣いています。
家相を考え、良い建材を選び、吉日を選んで建てて入居しても、それが何になるでしょう。
肝心なのはやはり、そこで住む人間の心掛け、努力が最も大切かと思います。
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