10月8日の「どうする家康」(38回)「唐入り」でその通りだと感じた一節がある。
古田新太演ずる元将軍▪足利義昭が、太閤秀吉と家康の二人がいる所にふらっと立ち寄り酒をちょっと一杯呑みながら、次のようにつぶやく一節がある。
「将軍だった頃はな、この世の一番高い山のてっぺんに立ってるようなものでな。下々の者がよーく見えた。何もかも分かっておった。そう思い込んでおった。
だが、実のところは全く逆でな。かすみがかかって、何も見えとらん。周りがいいことしか言わんからじゃ。
自分はそうはならん。そう思っておってもなるんじゃ。遠慮なくきびしいことを言ってくれる者がおってどれだけ助かったか、、、。
てっぺんは独りぼっちじゃ。信用する者を間違えてはならんのう。」
朝鮮出兵で苦境ににある現状を知らされていない秀吉には、まさにピッタリの諫(いさ)めの言葉だったか。
子供の頃、「裸の王様」の話を聴いたが、上に立つものは権力を持てば持つ程、本当の状況は知らされず、良い話しか耳に入って来なくなる。
古今東西の世界を見てもそうだし、国家レベルは勿論、会社、グループなどの組織のトップは地位が上になればなる程、権力を持てば持つ程、心して肝に銘じ自身を律する必要が有るかと思う。
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